高森町
(常設展図録)
date about Takamori town, Aso.
this page's last update: 02/09/2004
阿蘇たにびと博物館は、阿蘇谷・南郷谷に生きる「谷人」たちの民俗と自然との 関わりを調べ、それを伝えていく博物館です。
aso tanibito assomusee is the museum to associate the people together.
こちらの図録資料をプリントアウトして当日ご持参頂ければなお詳しく愉しめるかと思います。

高森町
(『阿蘇郡誌』大正15年発行より抜粋。旧字は新字に改め、句読点を適宜付加した)
1. 位置
 熊本県元標を距る正東12里25町、西は白水村に接し、北は色見村に隣し、東は阿蘇外輪山を境として草部、柏の両村に 連り、南は同じく柏村に続き南郷谷の東部に位す。
2. 地勢
 東外輪山の最高点清栄山は海抜3320尺、南中坂峠の頂点は2888尺なれば、東南外輪山は海抜3000尺内外の所を 起伏すと謂ふべし。其直麓にある高森町は海抜1780尺の所にあれば、東南の山々は恰も屏風を打廻すが如き急勾配にて 屹立せり、高森町より西北は即旧火口内の平原なれば、極めて緩かなる傾斜を以て次第に西に低く一望数里耕地よく 開け、所謂坦々たる高森原なり。
3. 沿革
 藩政時代は阿蘇郡代の管下に高森村、村山村、色見村、市下村、白川村、竹崎村、吉田村、二子石村、下市村、 下積村、上中村、下中村の12村を合し、高森手永に一括し、惣庄屋によりて治めらるゝことゝなれり。天和元年 七月高森村の外に高森町を置き、更に二子石村と色見村とを上下に分称するに至り、高森手永は本村15ヶ町村小村 165石高9102石3斗6升3合7勺、物成2851石2斗2升7合4勺なりき。当時の会所即政庁は高森町にありしが、何時の頃にや 吉田新町に移り、高森町には其出張所を置きたるが如し。これを高森出張所といへり。
 明治3年8月の藩政改革により庄屋は里正に、里正は戸長と変り、明治6年吉田村以東高森色見を合して第11大区第9小区 と称し、明治12年4月郡区改正により色見高森を合して高森町と称せしが、明治22年4月町村制実施後、色見村を分離して 高森町と称するに至れり。歴代の治者左の如し。
 里正 佐伯惟朗(色見)、岩下仙八(中通村)
 戸長 木部和平(熊本藩士)、山村健蔵(白水村)、野田貞誠、甲斐太郎、桐原伝三郎、蔵原惟康、畠中弘二、本川吉重、 飯星和三郎、東平喜、野上経喜、山室氏督
 町長 1.桐原市次、2.佐田真光、3.田上和逸、4.佐田真光、5.飯星和三郎、6.津留寿太郎、7.田上和逸、8.藤野虎五郎、 9.田上平次、10.真原大心、11.安達伊七郎、12.湯浅清十郎、13.高崎得三
4. 教育
(1) 高森尋常高等小学校 明治6年4月、有志者の寄付金を以て町及村山の2ヶ所に小学校を 創立したりしが、明治13年元高森村は町より分離して3学校を置くことゝなれり。明治19年8月、3校合併して高森小学校と 改称せり。明治20年、谷中山東部の11ヶ町村、組合を組織して阿蘇南部高等小学校を創設したりしが、明治23年、山東6ヶ町村の 分離するに至り、谷中5ヶ町村は新に組合を組織し白水村吉田新町に移転することゝなれり、よりて明治29年、元高等小学校跡に 高森尋常小学校の校舎を新築したりしが、明治34年火災に遭ひしを以て同36年1月現在位置に移転新築し、同37年5月高等科 併置成り高森尋常高等小学校と称し、41年3月更に校舎を増築し、以て今日に及べり。
(2)補習学校 大正3年4月より修業年限1ヵ年の高等科3年程度の補習科を設置したりしが、 大正4年2月よりは補習教育青年夜学を開始し、大正5年4月高森農業補修学校の設置を見るに至れり。
5. 産業
 本町に於ける純農業家兼農家は全戸数の約4割を占め、商家は3割5分、他は工業者労働者等なり。農産物には米、玉蜀黍、 大豆、菜種等あり、工産物には酒類、醤油、菓子、木製品、石材製品、麦粉等あり、商業は山東部及び宮崎県の貨物概ね こゝに輻輳し、南部交通上の要点なれば、高森線開通後は一層有望の地なるべし。

高森町
(『熊本県大百科事典』、熊本日日新聞社、昭和57年より)
 県の東端、阿蘇南郷谷に位置し、大分、宮崎両県に接する。旧火口内に開けた標高平均630mの高森、色見地区と、 旧火口縁を境として外輪山外側の標高平均680mの波状傾斜地帯の草部、野尻地区に分かれる。面積175.43平方km、人口 8806人、世帯数2557。阿蘇氏の治下にあったが、天正年間(1573〜92)薩摩島津氏により攻略されてのち、加藤氏が 所領した。江戸時代は細川藩高森手永に属し、明治22年(1889)町村制施行で高森町、色見村、草部村、野尻村が誕生。 「町村合併促進法」によって昭和30年(1955)高森町、色見村、草部村が合併。続いて32年野尻村を合併し、新町が 出来た。
 河川は宮崎県五ヶ瀬川上流の川走川と大分湾に注ぐ大野川の上流大谷川に代表される。気候は高冷多雨で、年間平均 気温13.2度、年間降水量は約2460mm。交通は国鉄高森線と国道265号線、325号線を主要幹線道路とし、県道津留―柳谷線、 高千穂―竹田線が町内を走っている。耕地は水田413ha、畑2160haを有し、山林面積は13202haに及ぶ。現在、畜産プラス 野菜、タバコ、養蚕を主作目とした産地づくりが着々と進められている。
 一方、自然と歴史を生かした観光開発も目覚ましい。根子岳山麓の鍋の平キャンプ場、南阿蘇国民休暇村、奥阿蘇の 味・高森田楽、町中が沸き返る「風鎮祭」(別名山引き)などは有名だが、峯の宿の「バンバ踊り」、尾下の獅子舞、 草部吉見神社や高森阿蘇神社の神楽など伝承芸能が生きている。なお52年、県と熊本の風土とこころ編集委員会が募集した 『熊本の名所百景』では、「南阿蘇国民休暇村から見た根子岳」が一位に選ばれた。(岩下弘三)

高森線
(『熊本県大百科事典』、熊本日日新聞社、昭和57年より)
 豊肥線立野駅から南郷谷の東端・高森駅まで5つの駅を結ぶ国鉄のローカル線。総延長17.6km。昭和3年(1928)2月開通。 47年には宮崎県高千穂町とを結ぶ延長計画がスタート。全長22.7km、その8割がトンネルで貫かれる難工事で、9基の橋を 含め総工費140億円で53年度末完成予定だったが、トンネル掘削により地下水脈がしばしば切断され、住民の飲料水が枯渇し 工事は中断されたまま。加えて高森線の廃止問題がクローズアップされ、沿線住民に衝撃を与えている。(首藤正幸)

高森の芋田楽
(『熊本県大百科事典』、熊本日日新聞社、昭和57年より)
 阿蘇郡高森町色見地区の郷土料理。同地方特産のサトイモ、ツルノコイモを下ゆでして焼き、練りみそを塗って食べる。 約700年前昔から伝わるという。第2次大戦後農家からいろりがなくなったため田楽の風習も廃れたが、昭和35年(1960)町の 有志で高森田楽保存会を組織して観光客向けにアピール。イモのほか豆腐、シイタケ、ミョウガ、サガワニ、ヤマメ、ウドなど 自然の味を盛り、手作りの練りみそが自慢。根子岳を望みながら食べる野趣が好評。(佐藤タカ)