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Top 谷人の心象
Images of Tanibito those who have lived in Aso region, Japan
This page's last update: May/05/2009

阿蘇たにびと博物館は、阿蘇とアジアの知るを楽しむミュゼです。
Aso Tanibito Ecomusee is an ecomuseum in Japan to appreciate Aso and Asia.

●博物館がこれまで発信したデータのアーカイヴです。無断転用を禁じます
 ※2003〜2006年度まで「谷人の心象」と題してトップページ上で掲載していました。
●文章の引用元はサイトではなく、収録『谷人』号でお願いします。
 例:「阿蘇たにびと博物館サイトから引用」ではなく「『谷人』14号から引用」
●2003年度から行なっている婚姻民俗調査の進捗状況はこちらです。
〈豆知識〉「コントロールキー+F」を使えばページ内でキィワード検索ができます。


2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 谷人メール ギャラリー(英語) エコミュゼ入門


ラディカル・エコミュージアム入門
梶原 宏之(阿蘇たにびと博物館学芸員)著


9. フィールド・マップ


 普通の博物館ならば、玄関のところにパンフレットや看板があり、建物内のどこにどんな展示があるかが書かれている。しかしエコミュージアム(世界では原語のエコミュゼで呼ばれることが多いが、日本では英語訳で呼ばれるのでそれに倣う)はこの建物がなく、地域全体が博物館なので、代わりに地域の地図(フィールド・マップ)を作ることが多い。しかしこの地図作りが実はやっかいもので、注意しなければ思わぬ失敗を招くことになる。

 全国のエコミュージアムの集まりに行くと、「うちは立派なエコミュージアムですよ」と言って自分の町の地図を広げている人をよく見かける。行政の人にもいるし、町づくりグループの人にもよくいる。それで中身を覗き込んで見ると、載っているのは町の天然記念物であったり、史跡であったり、あとはなにか神社仏閣とか、物産館とか温泉とか、そういうものを「サテライト」と呼んで、それらをつなぐ道路を「ディスカバリートレイル」と呼んで、全体を「エコミュージアム」と言っているようだ。しかし私には、それが昔からある観光地図とどう違うのかよく分からない。

 エコミュージアムでフィールド・マップを作る際の注意点を3つほどあげておきたい。1つは、エコミュージアムとは決して「宝物探し」ではないということと、フィールド・マップは「宝物の地図」ではないということだ。この大前提を間違うと、結果としてエコミュージアムは旧来の観光地図作りになる(観光地図を否定するものでは勿論ないが、何もわざわざ「エコミュージアム」と言う必要はない。旧来通りやればいいだけの話である)。

 こうした結果に陥っている所を見ると、たいてい「エコミュージアムはまず中心にコア施設があって、その周囲にサテライトがあって…」と大昔のフランスの教科書そのまま真似ている事例がほとんどと見受けられる。いったいそれはいつの時代の話ですか?という気にもなるが、もちろん私たちがそんな大昔のスタイルにこだわる必要はないし、本国フランスでさえもうすでにコア施設をわざとおかないところも現れている。

 エコミュージアムが展示するものは、点ではない。珍しい樹木が生えているとか、古いものが残っているとか、そういうことではない。その地域の人たちが、その地域の自然風土の中で、どのような生を共に生きてきたのか、そうした自然と人間の関わり、喜怒哀楽の歴史を地域全体を通して如何に伝えられるかであるから、点ではなくて面である。言い換えればエコミュージアムが展示するものは、珍しい宝物ではなく、いわば住民たちの頭の中にある「場所の記憶」である。例えば、ありふれた木であろうが、何の変哲もない平地であろうが、そこに住む人たちの記憶と経験を通して語られれば、来訪者たちの頭の中でめくるめくその土地の記憶が蘇ることになる。人はいつか死ぬ。しかし死んでもその記憶は語り継ぐことができる。エコミュージアムは、そうした記憶をできる限り収集保存し、調査研究し、普及教育する博物館であるから、その真髄は物ではなく〈人〉である。

 2つ目の注意点は、そんな〈点〉ばかりを紹介するような仕方はもうやめたほうがいいということだ(少なくともエコミュージアムとしては)。点から点へ飛び回る形の観光は、結局その間は見てもらえないのだ。点のことは分かっても、面のことは仲々分かってもらえない。面(地域)が分かってもらえないなら、どうして地域の人たちがわざわざエコミュージアムなんて苦労して取り組む必要があるだろうか。無駄な話である。例えば阿蘇ならば、阿蘇神社ではなく「宮地」を、西巌殿寺ではなく「坊中」を展示すべきである。エコミュージアムとはそうした旧来の観光地図を如何に乗り越え、点ではなく面そのものを理解してもらい、しかもこれまでのような客―業者というつきあいではなく、来訪者―住民として互いに礼節のあるコミュニケーションがとれるかということでもある。

 そして最後は、実はあんまり詳細な地図は無料で作らないほうがいいということだ。エコミュージアムは、例えば普通の博物館の中を学芸員が案内するように、地域の中を学芸員的な住民たちが案内するというシステムであるが、この「案内する」という行為が結構重要なのである。そこに来訪者―住民という互いの人間性も生まれるわけで、もし詳細な地図があり、来訪者が1人で勝手に行けるとすれば、この人間性はうまく生まれないかもしれない。それどころか下手をすれば(たとえば大量の観光客が地図を片手に押し寄せ、生活をジロジロ覗き込まれたりすれば)、自分たちは動物園の見世物かと思わぬ反発が出るかもしれない。現地と訪問者の間に案内人が介在することは、正しい知識を伝えるためにも、地域へのマナーを遵守するためにも、とても大事なことなのである(逆に言えば、こうした案内人システムがなければ、また旧来の観光地図に戻ってしまうだろう。こうして考えるとエコミュージアムとは、これまでの大量生産・大量消費が削ってきた、人間らしくも面倒な付き合いを復活させるものなのかもしれない)。

 詳細な地図を作らないほうがいいと思われる理由は他にもいくつかある。例えば盗難や盗掘に対するリスクである。天然記念物である動植物について、その所在を地図に落として一般に掲示することは現在明らかなタブーである。残念ながら、我々の良識や節度というものに頼るにはあまりにも虚しい世の中だ。良かれと思って教えた秘密の野草地も、次の日には綺麗さっぱり何も残っていなかったという事例は多々見聞している。そういう盗掘人たちは、たとえその土地がどうなろうと関係ないのだ。なくなればまたどこか次の場所に行くだけなのだ。そんな者たちを手助けするような詳細地図は決して作るべきではない。

 願わくば、現地を歩くならできる限り案内人を通すのが理想だ。案内人の目が届くところならば盗掘のリスクも防げるし、地元の人たちへの接触も緩和できる。また同時に期待したいのは、こうしたエコミュージアムの案内業を、地域が職業としてならしめることである。地域のガイドはなんとなく定年を過ぎた長老たちというイメージがある。もちろん彼らの豊富な知識と経験には大いに学ぶべきだが、しかし何も先生職は長老だけのものでもないはずだ。学校の中にだって、ベテラン先生もいれば新人もいてそれぞれ良さがある。大学を卒業し、学校の先生になって国語や算数を教えたいと思う若者がいるように、博物館の先生になって地元の自然や文化を教えたいと思う若者もいるはずなのに、不幸なことにそうした若者たちの職場はこの国には極めて少ない。だから地域が優秀な若者を自分たちで育てられるなら大いに意義あることとなろう。そのためには地域の散策にはできる限りエコミュージアムの案内人を通して貰えるようにし、そして1人でも歩けるような詳細地図はあんまり作らないことである。

まとめ
1、フィールド・マップを「宝の地図」にしないこと。
2、個別の点ではなく、「地域」そのものを展示すること。
3、詳細地図は避け、案内業を地域で成立せしめること。


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