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谷人の心象Images of Tanibito those who have lived in Aso region, Japan This page's last update: May/05/2009 阿蘇たにびと博物館は、阿蘇とアジアの知るを楽しむミュゼです。 Aso Tanibito Ecomusee is an ecomuseum in Japan to appreciate Aso and Asia. ●博物館がこれまで発信したデータのアーカイヴです。無断転用を禁じます。 ※2003〜2006年度まで「谷人の心象」と題してトップページ上で掲載していました。 ●文章の引用元はサイトではなく、収録『谷人』号でお願いします。 例:「阿蘇たにびと博物館サイトから引用」ではなく「『谷人』14号から引用」 ●2003年度から行なっている婚姻民俗調査の進捗状況はこちらです。 ●〈豆知識〉「コントロールキー+F」を使えばページ内でキィワード検索ができます。 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 谷人メール ギャラリー(英語) エコミュゼ入門 ラディカル・エコミュージアム入門 梶原 宏之(阿蘇たにびと博物館学芸員)著 8. エデュケータ 最近は職業名もカタカナのものが増えてきてさっぱり分からんとお嘆きの方もいるとは思いますが、今回ご紹介するのも今のところカタカナ職業です。つまりそれは、まだ日本では馴染みがないということでもあります。 エデュケータというのは、日本語に訳すとエデュケート(教育)する者という意味で、要するに先生であります。ただこれは学校の先生(ティチャー)ではなく、博物館で主に教育普及を担当する専門職員をいいます。 日本の教育行政もそうですが、教育というものはだいたい学校教育と社会教育に分かれています。前者は学校で習う教科教育、つまり国語・算数・理科・社会などであり、後者は学校を卒業した人たちも含めて学ぶもので、例えば今生涯学習などと呼ばれているのがだいたいそれにあたります。この両者を行政が縦割りに扱うことの是非はさておいて、そのどちらにも良い先生が必要なことは確かなことです。 日本では残念なことにまだ博物館を倉庫だと思っている人が多いようですが、欧米では倉庫(それも立派な)であると同時に、博物館は学校でもあります。国語や算数は小中学校で習い、地域の自然や文化は博物館で学びます。両者は互いに補強しあう、教育の両輪なのです。 博物館には学芸員という先生がおり、彼らがそれぞれ民俗学や歴史学、考古学、地学、植物学、動物学などの専門分野を研究しています。地域でそれを調べ、そして地域に還元します。ですから博物館の頭脳というか心臓部は彼らであり、彼らがいなければ博物館は成り立ちません(学芸員がほとんど雇われない日本の「博物館」や資料館がどうして面白くないかお分かりでしょう)。 彼らは毎日せっせと地域のことを研究しますが、しかし研究がよくできるからといって、それを上手に伝えられるとは限りません。それは例えば大学の先生の話が皆分かりやすいかということや、また例えばよい選手がよい監督になるかといったことなどを考えれば分かるかと思います。つまりせっかくよく研究したことでも、それを上手に人々に伝えられなければもったいないことだと欧米の博物館は考えたのです。 そこで彼らは、研究者と教育普及者とを分担することにしました。海外では前者がキュレータ、後者がエデュケータと呼ばれています(ただし厳密に言えばキュレータと日本の学芸員とが全く同じかというとそうでもないのですが、細かい所は割愛)。こうして研究する人と、それを伝える人とが共に分業して手を組むことで、博物館のより良い成果をはかっています。 さて日本ではどうでしょう。日本では、エデュケータどころかキュレータもまだいない施設がほとんどです。前述したように、まだ博物館は「倉庫」だと思われているのです。実にもったいないことです。「勉強」というと嫌な感じがしますが、しかし人間生きていて、何故だろうと思ったり知りたいと思うことはずっと一生続きます。たとえ学校を卒業しても、こうした疑問に対する学習は生涯続くのです。いえむしろ、大人になって落ち着いてから世の中のことをもっと深く知りたいと思うことのほうが多いはずです。それなのに、子どものうちの学校はあるのに、大人のための学校(博物館)がほとんどこの国には整備されていません。博物館は決して子どもたちの社会科見学のためだけのものでもありませんし、また生涯学習も決して老後の余暇ではありません。「子どもは勉強、大人は仕事」という考え方はもったいないと早く気づいたほうが人生お得です。 日本の博物館が社会教育の場として充実しないのは、まず何よりも学芸員が雇われないからだと私は思っています。学校でいえば、教室に教科書はあるし、音楽室に行けば楽器もある、でも先生はいないという状況です。そんな学校に誰が行くでしょうか?先生がいてこその学校、学芸員がいてこその博物館なのです。 理想論ではなく、現実問題として日本の博物館に学芸員が雇われない理由があります。それはお金の問題です。学校の先生を雇っているのは各県の教育委員会ですが、学校の先生の給料には県や国からお金が出るのです。つまり、例えば市町村が1人先生を抱えても、その先生の給料を全額自治体が出す必要はありません。しかしもし学芸員を1人雇うとなると、その給料は全額自治体持ちになります。それだけ自治体の負担は重いのです。それで自治体は博物館や資料館をたとえ建てても、学芸員を雇おうとはなかなかしません。それでどうするかというと、学芸員を雇わずに、学校の教員を回してくるのです。そうすれば博物館の仕事もさせられるし、経済的な負担も少ないという計算なのです。 博物館に回される先生方には様々います。元々博物館に向いているような先生ならばいいのですが、しかしそうではない場合、つまり言い方は悪いのですが、専門もなく、少子化で「余った」先生が回される場合、また博物館に来たいとは思いもしなかった先生が回された場合、これは悲惨なことになります。先生は一刻も早く現場(学校のこと)に戻りたいと願うでしょう。なにしろ博物館にいる間は授業時間がカウントされませんから、その後の教頭試験や校長試験を受ける年齢が遅れますし、またそれがゆくゆくは給料の総額に響いて、家のローンなど人生設計までがすべて狂い始めるからです。そうなると大変です。 そんな人が博物館に「学芸員」として回されてきて、果たしてニコニコ顔で業務に励むでしょうか。難しい話です。「私は学芸員なんかじゃない!」と叫んで、たとえ企画展開催直前の修羅場であっても定時にさっさと帰宅してしまう「学芸員」ともめる学芸員の話を何度も聞いたことがあります。それこそまさに修羅場です。そもそも学芸員になりたくてもなれない若者が世の中にはごまんとひしめいてるのに、なんとも矛盾したもったいない話です。 また、最近の修羅場として学校教育の「総合学習」導入化があります。これは博物館の仕事を学校に押し付けるものです。博物館に教員を派遣するどころか、もう博物館の仕事自体を学校にやらせてしまおうというものです。表現こそ「詰め込み勉強だけでなく、子どもに総合的な学習の機会を」などと言っていますが、明らかに社会教育施設の無視であり、ただでさえ忙しかった学校もこれで修羅場と化しました。だいたい転任して来たばかりの新しい先生にどう地域のことを教えろというのでしょうか。学校も博物館も子どももみな不幸です。それよりもきちんと博物館を整備して、地域のことは博物館で学べるようにし、学校はそんな中途半端なことをせずに、きちんと教科教育に専念すればいいのです。そのほうが学力低下の歯止めにはずっと効果があると思います。もしくは、これは実践しているところもありますが、学校の中に図書室があって司書がいるように、同じく学校の中に資料室を作って学芸員をおくのも検討すべき妙案と思います。もしそうなれば、学校は子どもだけのものでなく大人たちも通えるわけで、それこそ地域の「学校」であり「図書館」であり「資料館」となります。子どもであっても大人であっても、みなそれぞれの発達段階に応じて地域の「学校」を利用できるのです。それこそ生涯学習であり、また少子化によって廃校となり、地域の心の拠り所が消滅するような悲劇も避けられるかもしれません。 しかしそんな夢物語とは程遠い日本から抜け出して、海外の博物館でエデュケータやキュレータが子どもたちに楽しそうに教えている姿を見ると、本当に涙が出そうになります。ああ日本はあと何年でこのレベルまで来れるのだろう。それまでに私はもう死んでるんじゃなかろうかと(その前に日本の自然や文化は生き残れるでしょうか)。 私がもう1つ皆さんにお願いしたいのは、文化や教育というものは「もしお金が余ったら」払おうかという考えを変えることです。例えば100円欲しいところに110円入ったら10円やると考えるのではなく、たとえ100円しか入らなくても1割は出すというふうに、つまり総額がいくらであってもそのうち必ずいくらかは出すと考えて頂きたいのです。欧米の文化施設はそうして社会の人々に支えられていますし、だから欧米の博物館は民間で成り立っています。これから先、日本の行政が文化や教育に力を入れる望みは正直あまりないと思います。国立の博物館や美術館でさえ(そして大学すら)理解がなく切られているのが現状ですし、前述のお金の問題もあって行政では正直難しいと思います。これから先、博物館が満足に活動していくには、開き直って欧米のように民間しかないと考えています。前述したように、私たちの学習は一生ものです。自分がいくつになっても満足して使えるように、また自分の子どもたちのためにも、地域の博物館や学芸員に投資することは決して損なことではないと思います。むしろいい博物館、いい学芸員を自分たちで雇っていくくらいの気構えが地域で生まれる時代が来れば、そのときは日本にもエデュケータが誕生するかもしれません(でも私は生きてはいないでしょう・涙)。 まとめ 1、博物館は地域の学校でもある。 2、代用でなく専門の教員を配置すること。 3、学芸員と教員が協働して社会教育に臨むこと。 ![]() 【写真】パリの自然史博物館で、来館した子どもに解説するエデュケータ。子どもの目線で話をしている点など、きちんと基本をおさえていてさすがです。こういう人たちが生きられる社会土壌が羨ましい。 目次にもどる |