2001年6月27日(水) そして、日本。(あとがきにかえて)

あれからもう2年が過ぎた。私はあの日、まさかのJALにオーバーブッキングなど 喰らいつつも、何とか日本に帰ってきた。私の直前のご婦人方のところで言い渡されたのだが、 ご婦人方が激怒して噛みつくと、ほどなくして搭乗を案内された。いったい何だったのだろう。 ・・・しかしあのご婦人たちがその後乗り込んできたのはついぞ見なかった。噛みついたままパリに 残ったのだろうか。または彼女たちにとって、パリはまだ残るべき場所だったのだろうか。 しかし、私は、日本に帰ってきた。

関空から飛行機を乗り継いで福岡へ。電源を切っていた携帯電話のスイッチを入れると、 ピーという電子音とともにアンテナが3本立った。 まるでリングのゴングが鳴ったかのように。 とりあえず大学の後輩に戻って来たことを伝え、数日後の集まりには参加すると伝えた。 当たり前に、そしてすべてを日本語で。目の前の風景。先ほどまでいたドゴールとは違うが、ここも確かにまた 空港である。一瞬また別の国に旅に来たようにも思えたが、それを振り払うようにして地下鉄に 乗り込んだ。

今度は難なく改札口も通り抜け、天神に出た。 そこで意図せず、大学時代の同級生2人に出合った。彼らは結婚していて、暮らしはなかなか 大変だが、ここ福岡で 新しい生活を始めていると云った。ふと、コウデベックで出会ったホテルの老夫婦を思い出した。 ここにも、あそこにも、頑張って生きている人たちがいる。そして、自分は。

あれから2年。私は相変わらず阿蘇で生きている。先の土曜には熊本市で社会教育の研究会があり、 そこでフランスでの出来事を話してきたばかりだ。幾分客観的に、余裕を持って。しかし あの国で見てきたこと、感じたことは、今でもリアルに私の内に残っている。忙しい毎日の中で ふと見えなくなることもあるけれど、パリで出会った人たち、旅館のおばさん、薬屋のお姉さん、 あのピエロでさえも、色々な顔が浮かんできて私に問いかける。 「君は今どこにいる?」。 コウデベックで出会ったあの若い日本人コックも、こんな気持ちになることがあるのだろうか (彼とはまだ再会できずにいる)。

明日は岐阜県の中学校の先生たちと打ち合わせだ。修学旅行で阿蘇に来るという。自分たちに とって修学旅行生の受入れは初めての試みだ。いささか不安だが、やりがいはある。私の頭に、 海洋博物館や音楽博物館で見た子どもたちの姿が浮かぶ。そして今年度中には、いよいよ念願の 博物館事務所の着工にこぎつけるつもりだ。無論、1人でたどり着いた道ではないが、 以前の博物館を辞して6年目、郵便配達や学習塾をしながらようやくたどり着いた夢だ。

クリックでトップへ 朝、家の玄関を開けると、そこにはもう見慣れた阿蘇の山々がある。青く広がる大空は、 遠くあの国ともつながっている。私はその空を確認するように、云う。

「私は、ここにいる。」


〈完〉




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