1999年6月22日(火) エコミュゼへ
朝、肩の激痛と共に起きる。やはりそんなうまい話はなく、むしろ痛みは更に増している。一抹の不安と
共に、まずは時間を確かめる。とはいえ、実は時計を持っていないのだ。装飾品とか腕時計とか、身体に
何かつけるのが嫌いだからである。日本ではそれでもあちこちに時計があるので不便は
感じなかったのだが、やはりそれは日本の異常な所なのか、フランスでは街中に時計
などない。それだけ景観を大事にしているのだろう。仕方なく日本から持ってきた携帯電話を
そのときだけオンにして表示時間から8時間引いたりしていたが、あるときカメラの日付記録に
時間があるのを発見!さすが日本は時間の国と妙に感心するが、うっかり何枚か
写真に時間を焼き込んでしまい、これも考え物だ。さてそんなことはどうでもよくて、どうも時間が
昼の11時半っぽい。・・・・・11時半?オオウ!確かチェックアウトは11時だとおばちゃんから云われていたぞ。
こりゃ早く出ないと何か魔法とかかけられるかもしれんと早々にバッグを詰め込む。
初めて一人になってしかも昨日一日中歩きまわったものだから予想以上に疲れていたのだろう。恐る恐る
玄関を笑顔で通り過ぎ(おばちゃん、許してくれてありがとう ^^)通りをサン・ラザール駅に
向かう。今日は一日余裕を持って移動日にするつもりだ。目的のバス・セーヌ・エコミュゼ
に行くには、サン・ラザール駅からルーアンという駅までまずは行かねばならない。ていうか、そこ
までしか知らない(笑)あとは行けば何とかなるだろうくらいの気持ちで駅に向かう。それにしても
肩から首筋にかけて痛くてたまらない。荷物を右に左に担ぎ替えながら、それでもひたすら歩く。こうい
うとき、つくづく自分の旅のスタイルがうらめしくなる。タクシーにでも乗ればいいのに、
絶対乗らない。街の雑踏とか路地裏の雰囲気を直に感じたいからだ。それにフランスのタクシーは
車内のスイッチを押すと改造車に変身して200km以上の猛スピードで街中を
突っ走るらしいので恐くて乗れない。
ルーブルの裏からオペラ通りに抜けると、突然見慣れたコトバが溢れてきた。日本語だ。それに日本料理
店もいっぱいある。なるほど、何処にいるのかと思えばここかと思いつつ通りを歩く。もうお昼だ、お腹も
空いてきた。筋を痛めて弱気になっていた私は、掟を破って日本料理店に入ってみようと試みた。とにかく
野菜が食べたかったのだ。野菜炒め定食を探したが上手く見つからなかったので、もやしラーメンを食べよ
うとある店へ。およそラーメン屋には見えない店内に入ると、バイトウェイターの「イラサイマセ」という
怪しげな日本語。続けて繰り出されるフランス語に困惑した私は、もしやと
思い中国語で話し掛けると、中国語で返ってきた。やっぱり!案の定、日本料理とも中国料理ともつかない
不思議なインスタントラーメンが出された上に、千円近くのお金を取られて肩の痛みも
倍増だ。店員さんたちはすごく親切なのだが、肝心の味が・・・仕方ない、これも勉強代だと思いつつ
再び駅へ(後で聞けば美味い店もあると聞く。ショボーン)。
オペラ座も揃って改装中だった。いったいこの国は工事をしていないときがあるのだろうか。ふと、上海を
思い出した。オペラ座から左に折れると、アメリカンエクスプレスが出てきて感心した。何が感心したかと
いえば、看板が景観に馴染んでいるのだ。日本ではこれでもかと空色の看板が並べられるところだが、それ
がどうか、実に大したものだ。あれだけ喧しいマクドナルドだって、赤・黄の看板はまず見ない。フランス人の
精神ここにあり。つくづくも羨ましい国である。街中を見ると、およそ看板らしい看板は見られない。電柱
だってない。空港側のビル上に数点見たが、どれも日本の企業ばかりで情けないことである。そんなことを考え
ながらようやくサン・ラザール駅へ。ええと、構内には勝手に入っていいのだろうか、ルーアンまで行く
にはどの路線でどう切符を買えば・・・などとウロウロし、窓口らしき前で交わすべき会話を用意しながら
ふと振り向くと、窓口でお姉さんがニッコリ微笑んでいる。あれだけ微笑まれたら準備
ができてなくても行かざるを得まい。行き先の地図を示しながら親切なお姉ちゃんに助けられ、
ぶじ往復切符を手に入れるといざホームへ。それにしても、あのオレンジ色の機械は何だろう?
皆んなガチャンと切符を通しているが、何のためにあるのか悩む。そういえば改札というものがないから、
あれが代わりなのだろうかなどとガイドブックを睨んでフランス鉄道の勉強。見ていると、どうやっても
自分だけガチャンと云わないオバちゃんとかいて痛々しいが、肩をすくめる仕種は格好いい(笑)やがて
列車がホームに入ってきた。本当にこれでいいのかと思いつつ確かめる術もないので
とにかく乗り込む。BGMは勿論世界の車窓からである。
買っておいたビスケットなぞほうばりつつ、セーヌ川を下ってノルマンディへ。いよいよ
フランスの田舎だ。阿蘇とどんなところが似ているのか、期待に胸が膨らむ。まるで紙芝居のような車窓に、
子供のように頬をくっつけながら(ウソ)、ウシなど出てくると大はしゃぎであっという間にルーアン
へ。
もう夕方になっていたので、さっそくまた宿探しに入る。しかしその前に、何とか頑張って湿布を
買っておきたい。夜寝る前に貼れれば、明日はぐっと楽になるだろう。意を決して薬局に入る。店の
お姐さんがニッコリ笑ってくれるが、目が笑っていない。怪しげな
東洋人が肩を押えながら入ってくるのだからそれはそうである。しかも彼女、英語が
できない。せっかく膏薬の英語を知っていたのに台無しだ。何とか身振り手振りで肩が痛い
ことを伝えると、奥から何か商品を持ってきた。なるほど確かに貼り薬に似ている。しかしどうも薄いし
臭いもしない。これは湿布のように見えるただのでかい
絆創膏ではないのか?と疑いつつも、一緒に出された別の商品がチューブ入りの物なので、
絆創膏と並列はすまいと自分を納得させつつ、試しにその絆創膏もどきを買ってみる。果たして効くか
どうか、期待と不安に入り交じりながら再び宿探しへ。それにしてもルーアンは英語がどこの宿もあまり
通じない。ある宿などは途中で面倒になったのか「・・・コンプレ」と突然云われてしまった。おじさんも
申し訳なさそうだったけど、こっちももう疲れていたのでオ・ヴァと出る。ある店では書道のついたてが
上下さかさまに飾ってあり、なんとかひっくり返っていることを伝えようとしたが、店の前で妙な動きを
している自分がすでに怪しいことに気づき足早に去った。店の人たちも
何かただならぬことが起こっているのかとおびえていた。ああ、
ごめんよー、でもフランス語難しいんだよー。下手なことは云わぬほうがよいのか(←云ってないって)。
いいかげん疲れ果てたとき、思わずセーヌ川に出る。ああ!知らない人は知らないだろうが、熊本市内を
流れる白川の大甲橋付近に雰囲気がそっくりだ。予期せぬ故郷の憧憬に感じ入りながら、再び元気を出して
今度は逆に駅周辺に向かう。するとどうか、思わず小奇麗で安い宿を見つけることができ(英語は通じな
かったが)大いに喜ぶ。さっそくハサミを借りて先ほどの伴奏膏もどきを肩に貼りつける。おお!これは
効きそうだ(予定)と自分に思い込ませて夕方の街を散策に出る。小さな街なので少し歩けばだいたいの
場所は見ることができた。パン屋でおばちゃんたちが嬉々として購入しているパンを真似して買ってみたら
ショコラだった(涙)あまりのチョコの多さに辟易しながら喉に詰め込んだが食べきれず、鳥にやったりし
て、上手く咥えて行ってくれると救われたような気がしたルーアンの夜だった。さて、いよいよ明日は
エコミュゼだ(相変わらずどこにあるのか分からないけど)。期待に胸ふくらませながら泥のように就寝。
明日こそは肩が治ってますように・・・・・