1999年6月21日(月) 一人旅になる
先輩が「俺の血が呼んでいる」などと云ってイタリアに行ってしまわれた。
君はどうする?と云われて空港までついていって悩んだが、ぼくはやはりエコミュゼが見たいのでフランス
にとどまることにした。出発ロビーで先輩を見送り、さて、これから一人旅の始まりだ!また
学生時代に戻って、まずは安宿探しから始めるか(昨夜までは1泊1万円のホテルだった)。
行きがけに地下鉄の乗り場を二度も間違って苦々しい思いをしたので
(フランスは入るときに番線を間違えると引き返せない。ソウルでも同じ苦しみを味わったのを思い出した)、今度は
シャトルバスに挑戦。分かりづらいシャルル・ド・ゴールをかなりの時間迷い歩いて何とかバスを見つけ、
さあ再び市内へ!(しかしはるかに地下鉄の方が安いことに気づいた。でも景色が見れるからまあいいか)。凱旋門でバスを降り、
シャンゼリゼ通りをひたすら東へ。おお、この何の拘束もないというか、今夜の宿さえ決まって
ない不安さが一人旅だなあと久しぶりに実感。リボリ通りの両替屋を歩き回り(こういう時は
日本(円)頑張れ!という気になる)、いくらかのフランを握り締めてサン・ミッシエル通りへ。
この界隈で今夜の宿を探そうと決め、北からひたすら訪ねる。フランスの宿はおもてに値段が書いて
くれているのがいい。星も本当に助かる。書いてないところはすっ飛ばし、一つ星と二つ星の安宿を
探し回る。しかし良さそうな所はうまっていたり(コンプレ!と云われる)、一泊では駄目だと云われ
たり。歩き回ること二〜三時間。さすがに疲れて、ある、星もない、
無茶苦茶怪しげな宿に決める。宿の看板がなければ、
占いの館かと思われるような怪しさだ。無論、別に趣味で選んだわけでは
ないし、それでも250フラン(約5000円)もしたけど、酒屋が近くにあったので妥協した。荷物を降ろして街へ。パリ大学もすぐ近く
なので学生も多く、文房具屋などもあって楽しい。それに美味しい中華料理屋を見つけて大喜び!
いいかげんパンにも飽きていたところなので、餃子に青島ビールでいい気分。気兼ねなく中国語が
通じるのも助かる。店のオヤジにどこから来たと聞かれ、日本と答えると怪訝な顔をされた。きっと
本土の同志だと思ったのだろう。ごめん。しかし、フランス食に飽きた人はぜひ中華をお勧めする。
日本料理店は少なく、高い上に美味くない(あるという話も聞くが、これは後述する)。
すっかり酔いしれて、千鳥足で再び人込みあふれるサン・ミッシエル通りへ。さすが人が多いなーと思って
いるうちに、本当に溢れてきてびっくり!車など通れやしない。あちこちで若い連中がバンド機材を引っ
張り出して路上ライブが始まっている。おいおい、どうなっているんだい?セーヌ川のほとりまで人が
いっぱいだ。何がどうなっているのかサッパリ分からぬまま、夢中になってあちこちのライブを渡り歩く。
皆んな本当に楽しそうだ。歌いながら花吹雪などまいている連中もいる。大通りでロックに興ずる白人
学生たちがいるかと思えば、アフリカ太鼓に夢中な黒人のグループもいる。中に一人だけ白人の彼女さん
なんかいてすごく目立つ。そういえば黒人と白人のカップルも良く見るが、ハーフの割合はどうなっている
のだろう。裏路地に入り込むと今度はブラスバンドが踊ってるぞ!それに粋なお婆ちゃんが合わせて
踊り出した。そこへ車が!どうなるかと思ってハラハラ見てたら、音楽に合わせて
クラクション鳴らし出すではないか。おおお、無茶苦茶楽しいぞー!わははははと歩き
回っているうちにようやく日も暮れてきて(夜の11時くらいか)、写真を撮って宿に帰ることにした。
通りのガードレールに飛び乗って写真を撮ったまではいいが、そこから飛び降りたら
首がぐきっときた。あら?と思ったら、痛みがどんどん増してくる。まずい、筋をひねった
か?と思ったがもう遅い。あいたたたた・・・と首を押えつつ何とか宿に。
宿のおばちゃんから、今夜は音楽祭だと教えられる。なるほど。しかし痛い。明日の朝には
何故か治ってますようにと祈りつつ就寝。もう歳かなあ・・・・・トホホのホ。