home 演奏後記 2007

 演奏後記、再開します。これからは演奏以外の雑記なども気が向いたら掲載しようか、と思ってます。 マメに更新はたぶん無理だと思いますが、宜しくお願い致します!
 チケットのご注文やお問い合わせは後藤 monogurui5015@yahoo.co.jp までメールお願いいたします。

2002年 2005年 2006年 2007年


発売記念〜カフェ、バー&居酒屋ツアー
 早いものでもう4月。昨年12月に新しいアルバム『田舎人のうた』が完成し、3月までは発売記念のライヴを 連続して行った。今回は録音した場所が渋谷の音楽Bar“国境の南”だったので、ここを皮切りに他の会場も 音楽系のカフェ、バー、居酒屋で統一。自分が魅力的だと思うお店を、ライヴをやることで繋げてみよう、 という企画でもあった。
 ライヴ情報も参照して頂くとありがたいが、1、2月はすべて地元・熊本のお店。1月13日の“けんれのん”さんは ロック居酒屋で、ロック・ファンのお客様も多い。壁にかけられたビートルズなどのアナログ 盤に囲まれての演奏は、気持のいいものだ。新しいアルバムからの「木曽最期」「熊凝のうた」などに加え、 ブルーズ調にした「わが子は二十に」とビートルズの「Within You Without You」「Tomorow Never Knows」を メドレーにしたものや、久々に「ロンリー・ウーマン」など、こうした場所でなければ出来ないレパートリーも演奏。 「ロンリー・ウーマン」はその場で急にやったので、歌詞がとんでしまいあせったが…。
 1月19日の“ゆがふ”さんは沖縄料理のおいしいお店。沖縄音楽の他、浪曲のライヴなどもやられているので、 伝統芸能色濃い雰囲気の演奏でまとめる。新作からの曲の他、「五木の子守歌」「むかでの使い」やバナちゃん節を アレンジしたものなど九州関連の曲も。木造の店内、畳の部屋と床張りのホールとのバランスも良く、そこに小さい 舞台も作って頂きちょっとした演芸場気分だった。
 “凛や”さんは私の実家から歩いて3分程の所にある、やはり木造の民家を改造した小さいカフェ。ミュージシャン、 お店をやっている方などさまざまな人が集まる場所。今回は、アルバムにも参加してくれた小濱明人君とのデュオ。 このユニットも結構長くやっているので、簡単な打ち合 わせのみ、ラフな感じで演奏。いい意味でのユルさもあるお店なので“和楽器”は固く響くかもしれないかな、と 心配したが広さ・ちょっとアジアっぽい雰囲気も良く演奏はしやすかった。ここに最初に来て楽器を弾いてみた時、 聞いていた若者がそのまま弟子入りした、というお店でもある。
 続く17日は昨年11月にも演奏させて頂いたギャラリー・“ADO(アドゥ)”さん。小濱君、そして昨年も一緒に やったベースの時川大輔君とトリオ。「うたえやうたえ」「五木の子守り歌」「熊凝のうた」「わが子は二十に」 「ずっとそばに」の他、「古時計の 歌」「木曽最期(後半のみ)」もすべてトリオで。なかなか言葉では説明しづらいが、イメージには近い演奏には なったと思う。次回はパーカッションも加えて是非やってみたい。古い繊維問屋を改装したレトロなギャラリー (1階はカフェ&バー)なので、小濱君の古典本曲ソロはとりわけ印象的だった。
 他にいくつか演奏もあったが、発売記念関連は3月に東京で二箇所。10日はおなじみ“国境の南”でソロ。12月から 始めて一回りしたという感じ。熊本の“けんれのん”でのプログラムをさらに整理して演奏。いつも聞きに来て頂いて いる方が多かっ たので、リラックス感・緊張感、半々という感じ。今年から私もデビューしてしまった花粉症の影響はあったが、 区切りとしての出来は良かったのではと…。ブルーズ風何々〜ビートルズ・メドレーはもっと面白くなりそう。 じつはマジメにやってます(笑)。
 17日は初めてやらせて頂く、四ッ谷の“TAMAGO”さん。イタリアン・カフェ&バーでマスターは赤間神宮、壇の浦 他の地元・下関の御出身、CDも60〜70年代のロック、ソウルが中心で、私には非常に近いスタンスのお店だ。今回は 弟子さんで有能な役者でもある高橋和久君の朗読とジョイント。 昨年からやっている、琵琶弾き語りと朗読による『平家物語』シリーズ。今回は「大地震」、途中琵琶の曲を挟んで 「木曽最期」をやった。これも言葉で説明するのはなかなか難しく、是非一度聞いて頂くしかないが、淡々とした 朗読ではなくかなりグルーヴ感のある読みなので、物語のダイナミズムは良く伝わっているとは思う。
 演奏させて頂いた各お店、それぞれのポリシーでしっかり営業されている。幸いお客さんにもよく来て頂き、いろんな 意見も伺えた。ふだん客として行っても気持の良いお店ばかりなので、是非一度行かれてみることをお勧 めします。今後も演奏させて頂くこともあると思いますので、お店スタッフの皆様、よろしくお願い致します。
 4月は一休みしたいので、ライヴは5月から再開。初めての会場では発売記念シリーズの続編となる予定。


ラジオ番組
 2月にはラジオ局・インターFMの番組にもお世話になった。土曜午後5時からの番組『プロット・カルチャー』の中の 「匠人プロット」というコーナーで、毎回2週にわたり和楽器の演奏家が紹介される。2/17、24の放送だったが、CDの曲 紹介、生演奏、トークの時間をかなり設けて頂きありがたかった。パーソナリティの岸田一郎さん、宝生舞さん、 アルマーノ天野さんにうまく話を振って頂いたおかげで、突っ込んだ話が出来たのでは、と思う。放送〜芸能関係の方々は やはり目の付け処が面白い。岸田さんが楽器にトライするコーナーもあったが、収 録時が初めてだったのにもかかわらず、それなりに形になっていたのには感心させられました。

CD『田舎人のうた』完成制作裏話
 案の定、演奏後記はかなり間が空く状態になり、もう2007年。昨年後半は演奏の他、CDの制作に時間を費やしたので…と いうのは言い訳にしかならんですなぁ。
 何よりもまず、これを読んで頂いている方々の今年1年のご多幸をお祈り致します。せっかくCDも完成したので、 やはりそれについてのコメントから記そうと思う。今回も色々な方にお世話になった。すごい名人の演奏なら極端な話、 録音場所がどこであろうが、曲目と演奏者しか書いてないジャケットであろうが関係なく評価されるだろう。しかしながら、 私はまだまだまだまだ、そんな領域にいるわけではないので、録音、ジャケット他、いろんなフォローがないと作品として 成立しないわけです。
 詳しくは買って頂いて(笑)、聞いて・解説を読んで頂くとありがたいが、録音はスタジオでは無く、いつもライヴで お世話になっている渋谷の音楽Bar“国境の南”で行った。真夏の8月19日、午前11時あたりから準備して、開店前の午後 5時過ぎあたりまでぶっ通しで。クーラーを入れるとノイズが大きく入るので本番中は切る。やってる私は夢中なので あまり関係無いが、録音の大島宏樹君やお手伝い頂いた方など暑くて(熱くて?)たまらんかっただろうな。マスターの 羽田野さん(私と同郷、熊本の御出身)も遅くまで店をやられてて、普段は休憩されている時間にこの状態だと… 御迷惑おかけ致しました。しかし、おかげさまで、“熊本出身の方がやられている都会のど真ん中のBarで、昔の田舎人の ことを弾き語る”、という目的は達成することが出来た。
 こういう現場での録音だと、次はその事後処理に大変な労力が必要になる。前々作のお寺、前作の芝居小屋と同様、 ある程度のノイズが入ることは承知での録音だが、あくまである程度、の問題であまりに耳障りな部分は除去 しないといけない。その為のソフトもいる。前作、前々作、大橋賢二君がなめた辛酸(?)を、今回は大島君が引き継ぐ ことになった。語り、歌、弦ともに録音物としてのリアリティを充分持たせてくれたので感謝、感謝!である。
 デザインの遊橋裕美さん、写真の小坂淳君は前作に引き続いての担当。小坂君はわざわざこのために遠出し、音の イメージに合う写真を撮って来てくれた。それから遊橋さんがさらに物語・歌詞を連想させる写真を選び再構成し、 ジャケットが完成。遊橋さんは住所が遠方のため、一度も顔を合わせずのやりとりになったが そんな環境でもイメージどおりに進んだのは収穫だった。
 大きな会社での制作だったら、ちゃちゃちゃと朝飯前にこなされるような事だろうが、何せモノは琵琶という 認知度の低い楽器、しかも弾き語っているのは私、という状況なのでこうした気の長い(ある意味贅沢?)、 どさくさした制作姿勢になってしまうのです。しかし、スタッフの皆様、ほんとうにありがとうございました。
収録後記
 「木曽最期」は30分を越える長尺演奏になったので、さすがに怪しい部分もある。“物具(もののぐ)”を発音し そこなったり、琵琶は“主従五騎にぞなりにける”の後の手(中干落とし、と呼びます)がその直前、弦を締めすぎて 音程がぶれたり…。何回かやって(実際は2回やって後のを入れた)いい部分をくっつける、というのは流れが止まる ので出来ないのでやはり長い語り物は難しい。
 語りの節、琵琶は江戸時代以前からの薩摩琵琶の手法を基本にして いるので、いわゆる平家琵琶を聞かれたり、やられたりしている方には異質に感じられた りするかと思う。しかし、物語性という点では平家物語そのものの文句にかなうものはないと思うので、 僭越ながら薩摩琵琶の時間感覚と平家物語の文句の時間感覚とのセッションをやらせて頂いたというわけだ。
 しかし能書きより何より、「木曽最期」が好きで好きでやってしまった、そこに尽きる。自害については当然だが 経験がないのでわらないが、“日頃はなにともおぼえぬ鎧が、今日は重うなったるぞや(普段は重いとも思わなかった鎧が、 今日は重く感じる)”という義仲のセリフはここ何年かほんとうに身に染みている。田舎者が、目に見 えない巨大な力の前になすすべを失い、力尽きてしまう…とでも言ったらよいか。ラストの義仲の最期、今井四郎の 自害の場面の虚無感はハンパではない。
 「熊凝のうた」も、ある意味で田舎者が志なかばで挫折(ここでは行き倒れ)する内容。実際にこうなるのは…と 正直思うが、“世の中はかくのみならし(世の中はこんなもんなんだなぁ)”という無常感や諦念に満ちた言葉は好きで、 うまくいかないことがあった時などこれを5回、心の中で唱えることにしている。
 よく私と一緒に演奏してくれる、和楽器界では奇特な小濱明人君の尺八がこの 曲は大活躍している。最初はそうは思わなかったのだが、仕上げに向けて何回か聞いているうちに尺八のニュアンスが、 60年代後半〜70年代初頭のある種のロック系エレキ・ギターに近い感じがしてきて非常に面白かった。もちろん御本人も 狙ってそうしているわけではないだろうし、ロックというとバカにする人もいるから、小濱君にとって良いたとえか どうか分からないが、サスティーンの効きづらい和の弦楽器より、尺八の方がある種の情熱の質は表現しやすいのかな、 とは思った。
 歌詞中の“草手折り”は“くさたおり”と読むが聞いた際通じにくい恐れがあるので、ており、と発音した。 「わが子は二十に」の巫(こうなぎ)が“こうのぎ”に聞こえるのは私の発声ミスです。
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